海外活動拠点―カナダ

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カナダ開教区の沿革

カナダ開教の歴史を紐解くと、初代開教使がカナダに派遣されたのは1905年のことである。しばらくは北米教団の一部として活動を行うが、1933年に独立を決定し、「カナダ開教監督事務所」(後のカナダ教団)が設立された。現在では寺院数12ケ寺、開教使約6名で広大な土地での伝道活動に従事しており、護持会員数は約1500名を数える。2005年に開教100周年記念事業として、教育研修施設「リビング・ダーマ・センター」を開設し、広くカナダの一般社会にむけた活動を行っている。

カナダ教団本部

カナダ教団本部

リビング・ダーマ・センター

トロント仏教会/リビングダーマセンター

カナダにおける浄土真宗伝播の歴史は、アメリカなどと同じく、日本人移民の歴史と密接に関係している。日本人で初めてカナダへ移り住んだのは1877(明治10)年、長崎県出身の水夫であった長野万蔵氏との記録が残されている。1887(明治20)年以降、バンクーバー周辺地域に多くの日本人が移住するようになり、やがてその数1万人を超え、その中から民家の一室に集まり法話会を行うグループが形成されていった。1904(明治37)年、有志たちによって「同胞大会」が開催され、本願寺に僧侶の派遣を要請することが決議された。翌1905(明治38)年、その声に応え、カナダで初の開教使となる佐々木千重師がエンプレスジャパン号でバンクーバーに到着。当時はまだ礼拝施設が無かった為、日本人街にあった旅館の一室にご本尊を安置して「日本仏教会」と称し伝道活動を開始した。1911(明治44)年に十分な募財が集まり、カナダの歴史においての初めての仏教寺院が建立されることとなる。その後しばらくは北米仏教団の一部として活動することとなるが、次第に仏教会の数や門信徒の数も増加してゆき、1931(昭和6)年2月21日の総会において、米国仏教団より独立してカナダ開教本部を設ける事が決議された。1933(昭和8)年6月20日、本願寺より正式に本部開設の許可が下り、名称を「カナダ開教監督事務所」と定められた。

 

1941(昭和16)年、真珠湾攻撃により日米開戦となると、日本人所有の船舶、自動車、ラジオやカメラは全て没収され、夜間の外出、公共の場での日本人の集会は禁止となる。その後には約2万1千人の全ての日本人・日系人は海岸線より100マイル以上内陸への強制移動の決定が下され、指定された強制収容所へと収容されてしまう。その結果、西海岸に存在していた浄土真宗寺院は全て閉鎖され、御本尊や一部の仏具などは開教使が管理することとなった。しかしこのような状況下にあってもお念仏の灯火は決して絶えることなく、いくつかの強制収容所においては法要が行われたと記録されている。

 

終戦後まもなく強制収容所は閉鎖となるが、住み慣れた西海岸へ戻ることは法律によって許可されておらず、新天地を求めて東部カナダへと移動する者が多くあり、マニトバ、トロント、モントリオールといった都市への伝道が一気に進むこととなった。その後、西海岸への居住が許可されるようになるのは、1951(昭和26)年まで待たなければならず、しばらくの後、バンクーバー仏教会が再興された。1996(平成8)年には本部事務所がスティブストン仏教会の隣接地に建立され、約55年の時を経て、開教本部が西海岸へと戻されることとなった。

 

2005(平成17)年に開教100年を迎え、トロント仏教会はこれを記念して寺基を移転、本堂を新築し、併せて英語伝道推進のための教育研修施設「リビング・ダーマ・センター」を開設した。

1932年頃のバンクーバー仏教会

1932年頃のバンクーバー仏教会

1954年頃の再興されたバンクーバー仏教会

1954年頃の再興されたバンクーバー仏教会

 

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