海外活動拠点―ハワイ

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ハワイ開教区の沿革

ハワイにおける開教の始まりは1897年にまで溯る。現在定められている開教区・地のなかでは最も長い歴史を持ち、現在、31寺院(2別院含む)、約25名の開教使と約5,100名の護持会員を有する。研究育成機関として仏教研究所を所有。また西洋諸国の中では初の仏教系私立小学校~高等学校を運営している。

ハワイ教団本部

ハワイ教団本部

ヒロ別院

ヒロ別院

ハワイにおける開教の始まりはカメハメハ王朝の時代にまで遡る。1886(明治18)年に日布渡航条約が締結され日本からの移民が開始された。1889(明治21)年には曜日蒼龍師による単独での布教巡回が行われ、その後、本願寺から正式に開教使が派遣されたのは1897(明治30)年の事であった。1899(明治32)年にはハワイで最初の本堂である、ハワイ本願寺(後のホノルル別院)の本堂が落成し、寺院としての活動が本格的に開始されることとなる。当初、オアフ島各地での伝道活動を開始したものの、過酷な生活環境の中、その話に耳を傾ける者はごくわずかであった。当時のオアフ島での砂糖耕地で働く日本人労働者の賃金は非常に安く、労働者はたびたびストライキを起こし、ハワイ経済に支障をきたすことも少なくなかった。耕地主が命じても動じない労働者に対し、本願寺派僧侶の今村恵猛師が働くことの責任を説き、問題が次第に解決へと向かってゆくこととなる。これを知った耕地主が本願寺に理解を示し、こうしてハワイ各島の砂糖耕地に次々と本願寺が建てられることとなる。しかし1941(昭和16)年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃を引き金として太平洋戦争が勃発。ただちに本願寺の活動は停止されることとなる。

 

1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終戦をむかえ、開教使の多くがアメリカ本土に設けられていた抑留所から帰り、日曜礼拝が再開されるようになった。サンデースクール(日曜学校)、YBA(仏青)、ボーイスカウトなどの活動は盛んに行われてはいたが、英語での伝道は一般仏教が中心であり、どのようにすれば浄土真宗の絶対他力のみ教えを伝え広めることが出来るかが大きな課題であった。その仏教教育の一環として1972(昭和47) 年に仏教研究所(Buddhist Study Center) が設立された。研究所では、一般人を対象とする仏教講座やセミナーの実施、開教使志望者の育成を兼ねた各種のプログラムを開催している。また、仏教教育を通して将来の仏教徒を育成するため、本願寺ミッションスクール(ハワイ別院経営の私立小学・中学校)をさらに高等教育にまで拡大させ、2003(平成15)年、西洋諸国で初となる仏教系の高等学校、パシフィック・ブディスト・アカデミー(Pacific Buddhist Academy)を開設。

 

また伝統的な法要儀式のみにとどまらず、英語での仏教讃歌を取り入れるとともに、仏教的な視点からの社会への実践的活動が大切であるとの認識から「プロジェクトダーナ」、「同性婚の問題」、「死刑廃止運動」、「平和の日」制定など一般社会と連携した活動に積極的に取り組んでいる。

1903年 ヒロ本願寺

1903年 ヒロ本願寺

第一回開教使会議記念撮影

第一回開教使会議記念撮影


今村恵猛監督像(ハワイ別院敷地内)

今村恵猛監督像(ハワイ別院敷地内)

海外活動拠点マップ

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