海外活動拠点―南米
南米開教区沿革
南米開教はブラジルに移民した日本人によって法座が始められ、後に寺院へと発展を遂げていった。1950年に開教本部が設立され、浄土真宗本願寺派としての正式な開教活動が開始されることとなる。さらに1955年には浄土真宗本願寺派南米教団がブラジルにおいて正式な宗教法人としての承認を受ける。現在では寺院数35ケ寺(1別院を含む)、開教使約20名、開教使補約15名、護持会員は5千名以上となり、活発な伝道活動が行われている。
南米教団本部
南米開教の歴史を語る上で、アメリカ・カナダと同じく、日本人移民の歴史がその大きな基礎となっている。1908(明治41)年6月18日、第1回移民781人がサンパウロ州サントス港に到着。移民者達は主にコーヒー園での契約農民としての受け入れであった。長期的な労働力を確保するためにもブラジル側より定住が望まれており、そのために家族単位での移住が基本とされていた。(当時、北米では独身者のみが移住を許されていた)そのため、家財道具と共に日本からお仏壇を送られた家庭が多くあったと記録されている。
広島出身の伊藤助一氏が入植地を7年間かけて慰問布教を行い、1923(大正12)年に「同心会」を結成し法座活動が開始された。そして1932(昭和7)年、ブラジルで第1号となる仏教寺院「光明寺」が建設されることとなる。また1924(大正13)年には、サンパウロ市より西南に200km離れたレジストロ市において、法座会「慈光会」が発足している。
1950(昭和25)年4月19日「本願寺ブラジル開教教務所」がサンパウロ市中心部に設立され、四邨覚勝師が開教教務所長として本山より任命を受ける。日本人移民が始まって以来、42年目にして浄土真宗本願寺派の正式なブラジル開教がここにスタートしたのである。1954(昭和29)年3月21日、それまでの開教教務所が「本派本願寺南米開教本部」へと昇格し、初代開教総長に渡辺静波師が就任した。
同年5月6日から130日間の長期に渡り、大谷光照門主嬉子お裏方ご夫妻による南米第一回ご巡教(ブラジル、アルゼンチン、チリ各国、アマンゾン方面を含め南米大陸を縦横断)が行われたことは歴史的な出来事であったと言える。この勝縁をきっかけとして、多くの寺院が組織されていった。また伯国別院では得度が実施され、受式者33名を数えている。
1955(昭和30)年11月9日には浄土真宗本派本願寺南米教団がブラジルにおいて正式な宗教法人としての承認を受けている。1958(昭和33)年には日本移民50周年を記念して、伯国別院本堂が建立された。その後もハイパーインフレをはじめとする激動の時代にもまれながらも、南米教団はさらなる成長を続ける。ブラジルの首都であるブラジリアには、日本、他開教区およびブラジル国内の全門信徒より集められた募財によってブラジリア本願寺が建立されることとなった。
1973年ブラジリア本願寺建設中
2016年仏青大会(別院)