海外活動拠点―台湾
台湾開教地の沿革
光照寺(台中市)
台湾における開教の歴史は1895(明治28)年に始まり、戦前には60を数える本願寺派の寺院・布教所が存在していた。しかし1945(昭和20)年の終戦によって、全ての日本仏教寺院は台湾の国民政府に接収されることとなってしまう。
戦前、中央仏教学院、伝道院などで研鑚を積み、台湾帰国後は本願寺台北別院をはじめ、数ヶ所の寺院で勤務経験のあった陳銘芳氏が、終戦直後の混乱期において、戦前は日本の仏教寺院であった建物に、無惨にも放置された日本人の遺骨をリヤカーで収集することに奔走していた。戦後、反日の雰囲気に覆われていた台湾において、浄土真宗のみ教えを守り続け、弘宣するという信念のもと、台中市の中心部に光明寺を設立。さらに将来的な伝道拠点の拡充も視野に入れ、1976(昭和51)年に台中市の郊外に土地を購入。ここに光照寺(現台湾開教事務所)が建設されている。
1982(昭和57)年、光明寺の新本堂落成を前に、陳銘芳氏は長年の労が重なり往生される。その志を受け継いで、陳氏の長男である一信氏(現台湾開教地事務所長)がそれまでの職を辞し、龍谷大学大学院へと留学。帰国後は伝道活動に励み、1983(昭和58)年、光明寺新本堂落成法要を厳修。
1992(平成4)年、新たな拠点の建設が提案され、1999(平成11)年6月より着工。しかし同年9月21日、台湾中部を襲った大地震により、工事の中断を余儀なくされた。多くの困難に直面しながらも、現地メンバーの固い意志、そして日本からは宗派をはじめ、多くの団体から支援を受け、2003(平成15)年に本堂、記念堂、講堂、図書室、庫裏などを備えた地下一階、地上五階の光照寺がついに竣工となった。
活動拠点の増設に伴い、宗派は2001(平成13)年2月、台湾を開教地に指定し、光照寺に開教事務所を設置するとともに、陳一信氏を初代開教事務所長に任命した。
現在、光照寺では常例布教や仏教講座のほかにも、日本語教室、コーラス、外丹功(中国功夫の一種)、民芸品教室など、地域社会へと開かれた活動を行っている。
香港では2000(平成12)年2月に現地の人々によって「香港法雷念佛会」が設立され、現在は何世堯氏が同会の代表に就任している。
また2016(平成28)年には新しく台北に「台北法雷念佛会」が設立。次いで、香港には「香港本願寺佛学会」が設立され、2018(平成30)年1月、正式に台湾開教地に所属する拠点となり、布教伝道活動がさらなる広がりをみせている。
香港法雷念仏会
光明寺(台中市)
香港本願寺佛学会
台北法雷念佛会